人間は、10人いれば、10通りの考え方、感じ方があります。
ちがうところをいっぱい持っている人間同士が「いっしょにいると楽しい」というようになるには、お互いの違いを認めて受け入れていく事が大切です。
このことは簡単そうにみえるのですが、実際にはそうではありません。ちょっと違う人をさけたり、排除してしまうことは日常的におこっています。
これができるようになるためには、ある意味で、人間のもっているいろいろな力を総動員する必要があります。コミュニケーション力もそのひとつです。
うまくできれば平和な社会になるし、下手にやると戦争にも・・・というくらい、コミュニケーションってとても大切なものなのです。
コミュニケーションする能力は、子どもの時から、同世代の子はもちろん、年上の子、年下の子、子どもだけでなく、親以外のいろいろなオトナと接することで育っていきます。
年下の子の世話をしたり、オトナに物事をいいつけられるなどといった体験をとおして、相手の言うことをきちんと聞き、自分の言いたいことを表現し、ときには議論も、といった訓練を丁寧にかさねていけば、オトナになっていろいろな人とコミュニケーションするようになっても、そんなに苦手とは感じないでしょう。
ところが、現代の社会は、生身の人間関係というものをほとんど必要としないまでに解体してしまいました。
電車の切符を買うにしても、機会を相手にお金を入れれば出てきます。それどころか、今や切符を買う必要もなく、ICカードを改札口にあてればよく、バスも乗れて、JRも地下鉄も私鉄もOKという便利なパスができました。
このように言いたくなければ言わない、聞きたくなければ聞かないですむようになってきたのが、今の社会です。
その中で、自分本位のコミュニケーション、ある種、自分のわがままをどんどん正当化するようになってきているような気がします。
子どものときから、相手を尊重する、それでいて自分の気持ちも気楽に出せるという大切な対人関係の訓練が、あまりにもできない状況になってきています。
これまでも、文明が発達して機械化が進み、直接人と会わなくてもすむようになってくると、本来、人が持っていた豊かなコミュニケーション能力が阻害されていくのではないかと言われています。
では、いろいろな考え方の人と上手に接し、平和な環境を作りながら生きていける人になるにはどうすればよいのでしょうか。それには、子どものときから、コミュニケーションというのはすごく楽しいことだし、こうやったらできるんだということを、いっぱい体験させてあげることだと思います。
現代はそういう時代になってきているのです。
むかしのように、大勢の家族や、地域の中で、放っておいても自然と身につくという時代ではなくなってしまったということですね。
子どものコミュニケーション能力を丁寧に育てていくこと、これが、これまで以上に子育てや教育に求められていると言えるでしょう。
生身の人とのふれ合いが少なくなってきた現代だからこそ、コミュニケーション力を丁寧に育てていく必要がありますね。
認定こども園せいれんじ