最近、若い人の「ひきこもり」が問題になっています。このような若者たちのことを欧米の学者たちは「理解できない」「なぜ、親は放りださないんだ」と思うそうです。どうやら、欧米には「ひきこもり」という概念はないらしいのです。ただし、韓国や台湾では増えているそうで、東アジアに特徴的な現象のようです。
日本も含めこれらの国々は、追いつき、追い越せの競争に価値を置いてきました。学校でも競争、会社に入るのも競争、入ってからも競争。だから、若者にしてみれば社会に出ていって、ずっと競争していけるのか不安がつのる。さらに不安になるのは、自分がダメだからではないかと自分を責める。すると、つらくなっていつのまにか外に出られなくなるということになります。
しかし、このような「ひきこもり」は、ある意味で、自分を肯定する力をうまく育ててこなかった、日本の子育てや教育の問題でもあると思います。コミュニケーション能力をつけるのは、人と上手につきあうためだけではありません。自分を尊重する力、自分を肯定する力をはぐくむためでもあるのです。
生きていると、失敗したり、やる気がなくなったり、ケンカしたり・・・みじめになることは日常たくさんあります。しかし、そういう場合、みじめな自分を全部否定してしまうのではなく、そういう7弱点もあるけど、ダメなところも自分の一部でそれを否定してもしようがない、と思えるようになると、みじめさが消えてきて「まぁ、人生いろいろあるなぁ」という程度ですむようになります。よくも悪くも自分のありのままを受容するのです。
そのためには、どうしたらいいのでしょう。
まずは、子どものときからいろいろな人と接し、失敗もして、同時にそれを乗り越えていくという体験の積み重ねが必要でしょう。また、周囲の「(少しくらい遅くても)あなたのいいところは、人よりゆっくりやるところなんだから。そんなにあわてたら、あなたらしくないよ」というようなかかわり方も支えになります。ある場面では、弱点になるようなことも「それがあなたのいいところ」と認めてもらえれば、自分でも、「ダメなところもあるけど、まぁいいじゃん」と思えるようになるものです。
それは個性を尊重するということなのですが、これは本当は難しいことです。100人いたら、100個性がある。むしろ、おおまかに「この子はどのようなタイプなのか」と見つけてあげるということをまずやってほしいのです。親は、子どもをよく観察し、どのタイプか見抜いてあげると、無理をさせないですみますし、空回りしないですみます。
ただ、どのタイプかというのはあくまで仮説で、あたらないこともあります。でも、そのタイプを超えたことをその子に要求しなし。これが親子関係の基本であり、コミュニケーションを成立させるための最低条件だということは覚えてほしいと思います。
認定こども園せいれんじ