小さな子供を観察していると、色んなことをしでかします。親の指示どおりにはなかなかしてくれません。そこで思わす手や口が。
でも、ここはちょっとがまん。じっと見守りましょう。最初はぎこちなく不安です。「こうすればいいのに」と思っていても、とんでもないやり方をしはじめたりします。
いろいろな方法で試してみようとする行動を、試行錯誤といいます。試みては失敗する、試みては失敗するということを繰り返すことです。そして、やがてできるようになります。
人は試行錯誤を体験するから、自分の力でだんだん上手になっていくことができるのです。
試行錯誤を省くとしましょう。つまり、最初から「こうすればいいのよ」と正しいやり方を上から指示したり、命令したりして、子どもがそれに従ったとしましょう。もちろん、そのことで、試行錯誤するよりは、むだなく、より短い時間でできるようになるかもしれません。
しかし、それは100のやり方を試みて、そのすべてがダメで、ようやく101番目のやり方だとできるということがわかった、というわかり方ではありません。つまり、たくさんの失敗を重ねてこれはダメ、あれもダメと知ったうえでのわかり方ではないのです。せいぜい1か2程度のやり方をこころみただけで、「こうすればいいのよ」と教えられてできたものは、試行錯誤を通じて本当に自分で苦労して見についたものではありません。人の手助けでできるようになっただけです。
100の試みをした子は、うまくいかない方法を100知っています。それは潜在的能力といってよいものです。1、2の試みしかしなかった子は、失敗を次に持ち越しているだけかもしれません。それでは応用やバリエーションがききません。つまり、潜在的な能力そのものが大きくなっていなくて、そのことだけがなんとかできるだけ、ということになります。また、子どもは自分の力でがんばってやったという実感がないため、自信が育っていません。
手っ取り早くできるようにしてやろうとして、結局、本当の育つ力を奪っていることになるのです。促成栽培でできた、ひ弱な能力なのです。
はじめから「こうすればいいのよ」と教えたのでは、子どもは伸びないのです。
◯ 「あら、痛かったわね。だいじょうぶ?」
「こういうふうにしたら、どうかしら」
「どうしてうまくいかなかったんだろうね」
✕ 「お母さんのいうとおりにすればいいのよ」
「失敗するに決まってるじゃない」
認定こども園せいれんじ