今日のVTR 『こだわりの園舎』
ぜひご覧ください。
― しつけのコツは、共感性を勝たせること ―
「しつけ」が大切とよくいわれます。しかししつけは、一方的に社会的、道徳的なモノサシを子どもに示し、それをおしつけるものではありません。
葛藤させつつ、一方の望ましい方向、つまり共感性に勝たせていくこと。これが「しつけ」のコツなのです。
電車やレストランで、大きな声をあげて子どもが走り回っています。親は注意する素振りもなく、むしろ自由な教育をしているんだとばかり、気にする様子もありません。しかも「子どもらしくてかわいいでしょ」とでも感じているのか、いっしょに笑ったり目を細めていたりする。とんでもない間違いですね。自分にとってはかわいい子どもでも、他の人にはうるさい書以外の何ものでもありません。子どもはかわいいものだと、だれもが思っているわけではないのです。
とくに知らない子どもの甲高い声、泣き声は、ストレスの強い要因になります。たんに元気だからといって、子どもが公共の場で勝手きままに振る舞うことが許されるものではないのは言うまでもありません。
18世紀のフランスに、ジャン・ジャック・ルソーという思想家がいました。彼はみなさんよくご存知の童謡『むすんでひらいて』の作曲者でもあります。ルソーは著書『エミール』(副題「教育について」)のなかで、次のようなことを述べています。
自民が新しい社会を作るためには2つのことが鍵になる。1つはアムール・ドゥ・ソワ(amour de soi)=自己愛、自分を愛するという感情。もう1つはピティエ(pitié)=共感・共苦する感情。相手を思いやる感情です。ピティエは、「哀れみ」「同情」「憐憫」などと訳されることもあります。
つまり、自己愛と共感・共苦を発展させたら、社会というものをつくることができるとルソーは述べているのです。しつけは、自分が自分を律するとともに、相手をおもいやり、あるときにはいたわる感情を育みます。自分勝手な潤米は相手を傷つけ、その存在を否定することに直結します。
電車やレストランはある種の公共空間です。そこでは、たとえ赤ちゃんであっても、子どもの論理よりも公共の論理が優先されます。親は何よりもそのことに気付かなければなりません。
満員電車で大声で泣き出したときに、叱ったり、なだめたりしてもだめなら、次の駅で子どもを連れて電車をいったん降りる必要があるかもしれません。映画館で泣かれたら、お母さんは子どもを連れてロビーにでなければなりません。レストランならいったんロビーや廊下、あるいは外にでて教え諭します。
「お食事は大切な時間なのよ。ここは走り回ってはいけない場所なの」
「みんなに迷惑をかけてはいけないの。おうちとは違うのよ」
しつけというのは社会への配慮からはじまります。
周囲が「そのくらいの泣き声、だいじょうぶよ。気にしなくていいわ」と言ってくれれば、多少は甘えてもいいでしょう。
しかし、こちらが、「こどもがいるのだから多少泣いても、走り回っても仕方ないでしょう」という態度でいれば、社会はだんだん親に冷たく、子どもにも厳しくなっていくでしょう。
◯ 「ここは走り回ってはいけない場所なの」
「みんなに迷惑をかけてはいけないのよ」
「ここはおうちとは違うの。静かにするのがみんなの約束なのね。守れるかな?」
✕ 「やめなさいっ。何度言ったらわかるのよ」
「もうあんたなんか、連れてこないからねっ」
汐見稔幸 この「言葉がけ」が子どもを伸ばす!
認定こども園せいれんじ